雑記

Martin D-28との出会い

Martin D-28とは

ギターブログをはじめるなら、

最初の記事はこのギターの紹介と

決めておりました。

今世界には何本のギターがあるのでしょうか。

あるいは、

何本のギターが作られてきたのでしょうか。

D-28とはそのすべてのギターの原型になった

ともいえるギターです。

そもそもMartin社は、

日本が佐幕だ攘夷だのと言っていた頃には

すでにスチール弦のギターを作っていた

というのですから、

それも納得ですね。

三木楽器にて

あれは2002年の3月、、、、

「〇〇高校に合格したら

良いギターを買ってやる」

という親の言葉を信じ、

努力して合格を勝ち取りました。

そして、

合格するとはまったく思っていなかった父親と

大阪は心斎橋筋にありました三木楽器へ。

(今はそこは鍵盤楽器に特化しており、

アコギはアメリカ村の方でAcoustic.Inn

扱っていますね。)

入り口を入り階段を降りると、

確か地下2Fだったかと思いますが、

そこにはウッディなアコースティックな世界が

広がっていました。

15歳の私には大変衝撃でした。

目の前には

桁が1つも2つも違うギターたちが並び、

ひと際目立っていたのが、

Martintree of lifeのギター。

少し段差を上ったところに

ハイエンドなギターが置かれており、

その中のショーケースに入っていたギターに

私の眼は釘付けでした。

値段は覚えていませんが、

ゼロがたくさんついていましたね。笑

「良かったら触ってみますか」

不意に左耳の鼓膜が振動するのを感じた。

ふと見てみると、横にはナイスミドル。

「・・・・」

バカな中学生でも

これが自分のものになることは一生ない

ことぐらいはわかった。

「じゃあ、座って待っててね」と店員さん。

そうは言われても、

初めて行く親戚の家に行くのとは

比べ物にならないほどに緊張していた私は

座ることもできずに立ちすくんで、

ナイスミドルがショーケースを開け、

チューニングをしているのを見ていた。

私のところへ来て、

椅子に座るよう促し、

ギターを手渡してくれた。

ギターを抱えると、

「軽い、、、、」

見た目から勝手に

重さを推し量っていたのだろう。

持っていた入門者用のヤマハよりも

圧倒的に軽いことにまず驚いた。

おそるおそるGコードを鳴らしてみると、

ぶわぁと自分が何かに襲われている感覚に

陥った。

衝撃だった。

あの時初めて、

「ハカランダ」「ビンテージ」「D-45

という言葉を聞いた。

「大きくなったら買ってね~」とナイスミドル。

その店員さんのおかげかせいか、

私はそれ以来

ギターに心を奪われてしまっている。

なつかしさのあまり、

文体が変わっていますね、、、、。

D-28J-45

「どれにするんや」と震える声の親父。

あの時ほど不安そうな父親は

いまだに見たことがありません。

私の心は2つのギターに絞られていました。

当時はまだインターネットに手軽に

アクセスできる時代ではありませんでしたが、

いつもは“Go! Go! Guitar”を愛読していた私が

背伸びをして、

“Acoustic Magazine”を買っていたのです。

確か、ミスチルの桜井さんが表紙で、

その裏にはやたら高い位置でギターを抱えた

シルクハットを被った紳士の写真のもの

だったかと思います。

事前のリサーチは完璧です。

私はD-28J-45に的を絞っていました。

店内にはそれぞれ3本ずつあり、

合計6本を数時間に渡って弾いていました。

決めたのは

Martin D-28 CTM JP

決め手は3つ

・日本人向けのカスタムモデルで

ナット幅がやや狭く、弾きやすかったこと。

・ナイスミドルの

「この子の弾き方ならマーチンですね」の一言。

・敬愛するPaul McCartney

同じギターであること。

当時としては

腕にまったく不釣り合いのギターでした。

(今でもかもしれませんが、、、)

父親の財布から出てきた

見たこともない厚さの札束は、

「お父さん、お母さん、僕、良い子になるよ」

と思わせるのに十分でした。

15歳の頃から、

約20年間このギター一本で練習し、

ライブをしてきました。

私が下手な時も多少うまくなった時も

知っているギターです。

扱いも雑でした。

今でこそちゃんとメンテしてますが、

当時はゲキ落ちくんで指板を磨いたり、

キャンプファイヤーで使ったりと、

相当ひどい扱いをしていたため、

見た目はボロボロです。

大人になり、

いろいろとギターを買っては

手放しをしてきました。

ギターも増えあまり触らなくなくなりました。

しかし、例え埃をかぶっていても、

このギターだけは手放す気になりません。

父とナイスミドルには感謝ですね。

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